『絶歌』出版への意見 一番の問題点は?元少年Aで隠れた日本の暗部 [国内]
『絶歌』騒動に対する管理人の意見です。
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酒鬼薔薇聖斗に関する書籍は、
『「少年A」14歳の肖像 (新潮文庫)』
『酒鬼薔薇聖斗の告白―悪魔に憑かれたとき(元就出版社)』
『少年A 矯正2500日全記録 (文春文庫)』
のように多数出版されています。
さて、仮に今回の出版が本人による手記ではなく、“第三者”が元少年Aに念入りにインタビューをして作り上げた書籍だったとしたらどうなっていたでしょうか。
すべてを忠実に酒鬼薔薇聖斗こと“元少年A”から聞き出し、まったく同じタイトル、まったく同じ文章、まったく同じ「あとがき」で完成した『絶歌』。
違うのは著者名のみです。
そうなっていれば、恐らくここまでのニュースになることもなく、上記であげた“酒鬼薔薇本”の仲間入りを果たすだけになっていたことでしょう。
違いは、「“第三者”が書いたのか、“本人”による手記なのか」ただそれだけ。
著者名が違うことが、どうしてここまで大きな違いを生んだのか。
世間では、
「遺族のことを考えないのか」
「読んで不愉快になる人間だっている」
「模倣犯を生み出す可能性がある」
など多くの意見が飛び交っています。
しかし、これらはすべて『絶歌』に限ったことではありません。
冒頭で紹介した3冊の“酒鬼薔薇本”にだって同様のことが言えます。
「遺族に対しての許可を取っていない」という論点もありますが、第三者による著書であればやっぱり、問題として取り上げられなかったのではないかと思います。
結局、『絶歌』騒動の問題点は“元少年Aによる手記”であることであって、内容や許可をとっていないこと自体は、それに比べると微々たる問題なんです。
また、「何も出版する必要性はなく、ブログで綴れば良かったじゃないか」という意見もありますが、これも根本的には「遺族の配慮」という点を考えていません。
酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aがひっそりとブログを更新していたとしても、それが発見され、メディアに取り上げられれば、結局“同じレベル”で遺族の心を抉ることになります。
ですから私は、世間が『絶歌』をここまで批判している根本的な理由は、「遺族が~」という次元にはないと思っています。
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じゃあどうして世間はここまで『絶歌』に対して批判的なのか。
世間の考えはこうだと思います。
「印税を全額遺族に渡す」という条件での出版であれば、『絶歌』の評価は大きく変わっていたことでしょう。
批判はなくならないものの、確実に現状よりその数は激減するはず。
むしろ「実は元少年A(酒鬼薔薇聖斗)っていい奴だったんだ」という意見も多数出てくるに違いありません。
今よりもきっとベストセラーになっていたはずです。
しかし、遺族にとってこれほど苦しいことはないのではないでしょうか。
間接的ではあるにせよ、息子を死なせた殺人者からお金を貰い続ける。
世間的に元少年A(酒鬼薔薇聖斗)が認められる傾向が少なからず生まれる。
『絶歌』の根本的な批判対象である印税の行方は、結局どうなっていようが、遺族を苦しめ、元少年A(酒鬼薔薇聖斗)を救うことになっているのです。
だったら『絶歌』を出版しないことが一番ということになりそうですが、これも少し違うような気がします。
前回の記事でも述べたように、『絶歌』そのものには社会的な価値(主に“少年犯罪心理” の面で)があります。
今は完全に『絶歌』出版反対の立場を取っている尾木ママこと尾木直樹さえも、
当初は「分析しながら読みたい、社会的には役に立つ」と肯定的に述べていました。
『絶歌』の存在が判明してしまった時点で、『絶歌』を求める人は大勢誕生しています。
仮に『絶歌』が「やっぱり出版しません」ということになっていれば、各方面から「出版すべきだ」という声が挙がっていたのではないでしょうか。
ですから、『絶歌』を出版しない、ということも根本的な問題解決にはならないような気がします。
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そもそも『絶歌』の問題点は何なのか。
それは
なのだと思います。
『絶歌』はメディアに取り上げられることなく、ひっそりと書店の棚に並べられるべきだったのです。
再び現代に酒鬼薔薇聖斗を降り立たせてしまったのは、元少年A(酒鬼薔薇聖斗)本人なのでしょうか?
太田出版なのでしょうか?
一体誰が「元少年のAの手記です」と、おおっぴらに取り上げたのでしょうか。
マスコミは一方的に太田出版を非難対象として扱っています。
しかし他の何物でもない“マスコミ”こそが、『絶歌』を全力で宣伝しているんです。
『絶歌』の売り上げをここまで爆発させたのは紛れもなく“マスコミ”の力。
遺族に直接押しかけて「『絶歌』の出版に関してどう思いますか?」と質問したのも“マスコミ”。
その状況を放送したのも“マスコミ”。
忘れてはいけません。
遺族が元少年A(酒鬼薔薇聖斗)による悲劇の後、より遺族の心を苦しめたのは“マスコミ”です。
確かに太田出版は「これは売れる!」という思いから出版したかもしれません。
しかし「これはスクープだ!」と『絶歌』の宣伝に拍車をかけたのは“マスコミ”です。
ともすれば『絶歌』騒動の一番の問題点は“マスコミが事に拍車をかけたこと”ではないでしょうか。
兼ねてから言っている通り、管理人は『絶歌』出版には賛成です。
理由はやっぱり「社会的サンプルになるから」。
ですから、元少年A(酒鬼薔薇聖斗)を批判するわけでもありませんし(事件自体は許されたものではありませんが)、太田出版を批判するわけでもありません。
ですがどうもマスコミの騒ぎ立て方は、矛盾だらけで気に入りません。
繰り返しになりますが、太田出版はあくまでも“出版しただけ”です。
それを結果的に全力で宣伝しているのは“マスコミ”です。
その行為自体を棚に上げて、太田出版を非難の対象に“仕向けている”のは“マスコミ”です。
事件の遺族、土師 守さんが事件後の心境を語った著書『淳』では、“マスコミの非道さ”がこれでもかと、そしてありありと描かれています。
ネタのためなら血も涙もなく動く“マスコミ”。
『絶歌』騒動の裏に隠された日本の暗部は、取り上げられることはなく“次の非道な行為”へと続いていくのでしょうね。
それでは今回はこの辺で。
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『絶歌』が世間から批判されている理由
酒鬼薔薇聖斗に関する書籍は、
『「少年A」14歳の肖像 (新潮文庫)』
『酒鬼薔薇聖斗の告白―悪魔に憑かれたとき(元就出版社)』
『少年A 矯正2500日全記録 (文春文庫)』
のように多数出版されています。
さて、仮に今回の出版が本人による手記ではなく、“第三者”が元少年Aに念入りにインタビューをして作り上げた書籍だったとしたらどうなっていたでしょうか。
すべてを忠実に酒鬼薔薇聖斗こと“元少年A”から聞き出し、まったく同じタイトル、まったく同じ文章、まったく同じ「あとがき」で完成した『絶歌』。
違うのは著者名のみです。
そうなっていれば、恐らくここまでのニュースになることもなく、上記であげた“酒鬼薔薇本”の仲間入りを果たすだけになっていたことでしょう。
違いは、「“第三者”が書いたのか、“本人”による手記なのか」ただそれだけ。
著者名が違うことが、どうしてここまで大きな違いを生んだのか。
世間では、
「遺族のことを考えないのか」
「読んで不愉快になる人間だっている」
「模倣犯を生み出す可能性がある」
など多くの意見が飛び交っています。
しかし、これらはすべて『絶歌』に限ったことではありません。
冒頭で紹介した3冊の“酒鬼薔薇本”にだって同様のことが言えます。
「遺族に対しての許可を取っていない」という論点もありますが、第三者による著書であればやっぱり、問題として取り上げられなかったのではないかと思います。
結局、『絶歌』騒動の問題点は“元少年Aによる手記”であることであって、内容や許可をとっていないこと自体は、それに比べると微々たる問題なんです。
また、「何も出版する必要性はなく、ブログで綴れば良かったじゃないか」という意見もありますが、これも根本的には「遺族の配慮」という点を考えていません。
酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aがひっそりとブログを更新していたとしても、それが発見され、メディアに取り上げられれば、結局“同じレベル”で遺族の心を抉ることになります。
ですから私は、世間が『絶歌』をここまで批判している根本的な理由は、「遺族が~」という次元にはないと思っています。
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『絶歌』の根本的な批判理由
じゃあどうして世間はここまで『絶歌』に対して批判的なのか。
世間の考えはこうだと思います。
「殺人者がその経歴を生かして、印税を得ることが許せない」
「印税を全額遺族に渡す」という条件での出版であれば、『絶歌』の評価は大きく変わっていたことでしょう。
批判はなくならないものの、確実に現状よりその数は激減するはず。
むしろ「実は元少年A(酒鬼薔薇聖斗)っていい奴だったんだ」という意見も多数出てくるに違いありません。
今よりもきっとベストセラーになっていたはずです。
しかし、遺族にとってこれほど苦しいことはないのではないでしょうか。
間接的ではあるにせよ、息子を死なせた殺人者からお金を貰い続ける。
世間的に元少年A(酒鬼薔薇聖斗)が認められる傾向が少なからず生まれる。
『絶歌』の根本的な批判対象である印税の行方は、結局どうなっていようが、遺族を苦しめ、元少年A(酒鬼薔薇聖斗)を救うことになっているのです。
だったら『絶歌』を出版しないことが一番ということになりそうですが、これも少し違うような気がします。
前回の記事でも述べたように、『絶歌』そのものには社会的な価値(主に“少年犯罪心理” の面で)があります。
今は完全に『絶歌』出版反対の立場を取っている尾木ママこと尾木直樹さえも、
当初は「分析しながら読みたい、社会的には役に立つ」と肯定的に述べていました。
『絶歌』の存在が判明してしまった時点で、『絶歌』を求める人は大勢誕生しています。
仮に『絶歌』が「やっぱり出版しません」ということになっていれば、各方面から「出版すべきだ」という声が挙がっていたのではないでしょうか。
ですから、『絶歌』を出版しない、ということも根本的な問題解決にはならないような気がします。
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『絶歌』に潜む一番の問題点
そもそも『絶歌』の問題点は何なのか。
それは
「酒鬼薔薇聖斗の名を、再び世間の明るみに出してしまったこと」
なのだと思います。
『絶歌』はメディアに取り上げられることなく、ひっそりと書店の棚に並べられるべきだったのです。
再び現代に酒鬼薔薇聖斗を降り立たせてしまったのは、元少年A(酒鬼薔薇聖斗)本人なのでしょうか?
太田出版なのでしょうか?
一体誰が「元少年のAの手記です」と、おおっぴらに取り上げたのでしょうか。
マスコミは一方的に太田出版を非難対象として扱っています。
しかし他の何物でもない“マスコミ”こそが、『絶歌』を全力で宣伝しているんです。
『絶歌』の売り上げをここまで爆発させたのは紛れもなく“マスコミ”の力。
遺族に直接押しかけて「『絶歌』の出版に関してどう思いますか?」と質問したのも“マスコミ”。
その状況を放送したのも“マスコミ”。
忘れてはいけません。
遺族が元少年A(酒鬼薔薇聖斗)による悲劇の後、より遺族の心を苦しめたのは“マスコミ”です。
確かに太田出版は「これは売れる!」という思いから出版したかもしれません。
しかし「これはスクープだ!」と『絶歌』の宣伝に拍車をかけたのは“マスコミ”です。
ともすれば『絶歌』騒動の一番の問題点は“マスコミが事に拍車をかけたこと”ではないでしょうか。
管理人の所感
兼ねてから言っている通り、管理人は『絶歌』出版には賛成です。
理由はやっぱり「社会的サンプルになるから」。
ですから、元少年A(酒鬼薔薇聖斗)を批判するわけでもありませんし(事件自体は許されたものではありませんが)、太田出版を批判するわけでもありません。
ですがどうもマスコミの騒ぎ立て方は、矛盾だらけで気に入りません。
繰り返しになりますが、太田出版はあくまでも“出版しただけ”です。
それを結果的に全力で宣伝しているのは“マスコミ”です。
その行為自体を棚に上げて、太田出版を非難の対象に“仕向けている”のは“マスコミ”です。
事件の遺族、土師 守さんが事件後の心境を語った著書『淳』では、“マスコミの非道さ”がこれでもかと、そしてありありと描かれています。
ネタのためなら血も涙もなく動く“マスコミ”。
『絶歌』騒動の裏に隠された日本の暗部は、取り上げられることはなく“次の非道な行為”へと続いていくのでしょうね。
それでは今回はこの辺で。
2015-06-17 19:14
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